ぜんぶきみのもの

にのみやさんに納税したい

ざっと最近のいろいろ

おひさしぶりになってしまった。本当にブログというものがちゃんと長続きしない人間だなあと過去を振り返りつつ痛感している。続いた試しがまるでない。ツイッターは140字の制限があるから今のところのほほんとできてるしなんなら手帳に手書きでばーって書き込むのも好き。何故ブログだけ…。でも今回は反省しないことにしました。なんか記事書かなきゃ書かなきゃって謎の自己満足プレッシャーに追われて結果続かなかったのでこれは長文や!ブログや!となったときにふらっとくる感じに、する。

ほんとうは色々書きたいことがあるにはあった

デジタリアンのこととか宮城のこと、この夏を塗りつぶされた就活のこととか。下書きに溜めるだけ溜めてほっといてしまっていたので気が向いたら。でも宮城のことはDVD出る前に旅日記的にまとめたいな~ゆかりの無い土地にコンサートで遠征するのは初めてだったから印象的だった。やっぱり8月9月の屋外でのコンサート好き。天気は毎回心配になるけど!5人集まると雨降るグループあらし!!

思えばドリアラ以降去年までずっとドームにお呼びがかかることがないまま国立に通う夏だったので国立は結構好きな会場だったなあ。この前アラフェス13の映像を観ながら思った。大雨に降られることなんて一度や二度じゃなかったしアッここいわゆる天空席だ!とかいろいろあったけど、みんなでびしょ濡れになってハイになっていくメンバーとファンの謎の一体感、お互いちょっとヤバい目しながらもうどうでもいっか~~アハハ~~みたいになってく空間とか、だんだん日が暮れていって新宿のビル群と夕日を背負う5人がまあなんとも言えず美しかったり、明るい中で点けてこれ意味あるかな~(笑)とか始まる前に言ってたペンライトの光がいつの間にかちゃんと役割を果たすように真っ暗になっていく過程とか。この風や時間や空気をこの人たちと感じているんだなっていう実感とか。そういう全部がめちゃくちゃ楽しかった思い出しかないのでやっぱり屋外でのコンサートは好きだって宮城決まった時も終わったときもずっと思っていた。でも天気に恵まれてよかったね。

そうこうしているうちにツアーだ!ってなってばたばたしてたらもう12月が目前で正直とてもびびっている。ジャニオタの世界に再び戻ってきてものすごーーーく感じるのは圧倒的にジャニオタは時間とお金の消費量とスピードが並じゃないってところ…。とにかく時間経つのが早い!この前紅白見たばっかりなのに。おじさんのようかい体操第一から一年かよ信じられない。こういんやのごとし…あれはかわいかった。一瞬トパニャン推した

と、ぼんやりしてられないのもまたジャニオタっすね!まーー慌ただしい。今年は下半期特に自担である二宮氏がこの3年分くらい一気に埋めた?くらいお仕事をたくさんしているのでもうめまぐるしさに驚く。しがみついているつもりだけどついていけてるかな~自担の個人仕事が忙しいとオタクも忙しくなるというジャニオタ界の自然な摂理に則っていまじわっと忙しいね!>二宮担各位 自担の映画やドラマの際の雑誌ラッシュは皆さまどれくらいアレするものなのだろうか…とふと思う瞬間が結構ある。というのも普段から紙媒体厨で雑誌露出大好きマンなタイプのオタクライフなので出た雑誌はわりと買っている自覚があるししかも最近は困窮を極めた経済状況のわりに「選ぶのめんどくさいから全部買えばいいか」みたいなこと普通にしたりする。どうなんだろ。あと女性向けファッション誌すごく好き。きれいなお洋服着ていい感じに撮ってもらえるのとても楽しみ。これも個人仕事のときの醍醐味だなあ。歴代上位で好きなのは流星のときのBiDanです。この機会に十年以上ぶりに「坊っちゃん」読み返したらとんでもない萌えキャラで困った。ジャニオタは時間もお金も消費半端ないけどその分のワクワク感がちゃんと元取れるくらいに返ってくるからたまらない世界だなってつくづく思う。

そしてツアーにはもう参加してきた!inサッポロ!初札幌遠征と初冬の札幌!忘れないうちにそのことも書いておきたい。今週もう折り返しかあ。そして「母と暮せば」も試写会で一足早く観たのでその感想もちょこっと書いておきたい。

あっあとひさしぶりの!カウコン!!とてもうれしい。去年の年末は紅白が終わったあと途方に暮れてしまって寂しいなんてもんじゃなかった ジャニオタの年越しを支えるカウコン先輩…会いたかった…

ここまで一気に書いたらあっという間に2000字弱に達したのでこの調子で卒論がんばろうと思います。もう朝が来る。

32歳とすこしのきみへ

8月30日は松本潤さんのお誕生日でしたね。

日付を越えて数時間。32という数字と年月はもう馴染みましたか。

もう32歳。まだ32歳。たった二文字を頭に付けるだけでこんなにも意味合いが変わってしまう。数字があらわす年齢というのはすごくシンプルなのにすごく重みがある。

今のわたしの、生活や感動や喜びや愛しさ、そして何より「好き」を教えてくれたのは間違いなくあなたです。18歳の潤くんがくれた「好き」はわたしにとってものすごく大きい。「あ、この人が好きだ」と思わせてくれた瞬間の世界の鮮やかさが瞼の裏にずっと焼き付いたまま14年経った。いろんなことがあったけど、消えないで良かった。

昨年のソロ曲「STAY GOLD」が楽曲や演出や歌詞やパフォーマンスすべて含めてものすごく好きだ。DVDを観る度にいとおしいとか綺麗だとかうれしいとか眩しいとか、そういう気持ちがばーっと押し寄せて膨らんでいつもいつも懲りずに胸が詰まって、奥歯を噛んでやり過ごす。泣きそうになる。潤くんがとてもきれいに笑っているからだ。ただ笑っているんじゃなくて、なんというか、色んなものを手にしたり失ったりを経て、『今』『ここで』歌って踊っているよろこびや達成感みたいなものをその笑顔の中に勝手に感じて重ねあわせて振り返ってぐっと来ている。作詞の中に本人が名前を連ねている点もすごく大きい。

21歳の時コンサートツアーで披露した「La familia」が自然に思い出された。一ファン、しかも他担の人間がこんなこと言うのもおこがましいのかもしれないけど、あの曲の歌詞を綴り歌った21歳の潤くんの中には沢山の迷いだったり不安だったり葛藤だったりが存在していたのだと思う。『五年後はどうなってる?毎日を楽しんでる?』『今よりも自分も他人も信じられるようになってる?』ちょうど五周年を迎えた年のツアーで歌われたこの歌詞はその当時も今もすごくずっしり来た。ファンでさえ五年後どういう状況に居るか想像が出来なかった。なんでも平均的に器用にほどほどの力で出来ればもっと楽だったのかもしれないけれど、それが不得意で嫌いな人だ。がたがたの道を確かめながら絶対に絶対に転ばないように、それでも前を睨んで出来るだけ早足で歩いているような。そんな感じ。その終盤、ステージに背を向け客席側を向いて歌っていた潤くんがステージを振り返ると、4人が彼を見つめている。その様子を見て綻ぶようにやっと潤くんは笑うのだ。その表情にすごく安心したのを覚えている。

そこから10年。『不安もスパイスで』『ついて来いよ 共に行こう』そう歌う潤くんは5万5千人の前で輝いていた。あの頃の色々がきれいさっぱり消えた訳ではないのかもしれない。けれど、30歳を越えた潤くんは10年前よりも余裕を備えて誇りと自信に溢れていた。昔からあった優しさはそのままに、彼は強さを手に入れたのだと思った。今ならきっとがたがたの道で転んでも、そんな自分に少し笑って立ち上がって、でもまたゆっくりと着実に歩いていくような気がする。ただ丸くなっただけじゃない。その瞬間に合わせて少し角張ってみたり思いっきり丸くなってみたり出来る柔軟さを手に入れている。恥ずかしげもなくこんなこと言うけど不器用さも失敗もぜんぶ他の物に還元している姿を見ると、ああもう無敵じゃんって思う。華奢だった彼の背中は今とても広くて頼もしい。この曲では客席が手にしていたファンライトが彼のメンバーカラーである紫一色ではなく、紫×黄色、紫×青、紫×赤、紫×緑、と二色に染まる瞬間がある。五色のメンバーカラーを浴びながら、彼はあの頃よりもっともっと笑っていた。

曲がったことが嫌いで不器用で自分の信念が強すぎるくらいにある、それが理由で上手くいかなかったり自分や周りに苛々することもあったかもしれないけれど、そのまっすぐさも優しさもちゃんと伝わってるよ。完璧じゃないからこそこんなに愛おしい。ばかがつくくらいに真面目で照れ屋でアツくてお酒飲むと長くて動物が好きなのに嫌われて悩んだり全部にがむしゃらに進む優しくて強くてしなやかな、そんな潤くんだから応援したいと思ってる。応援させてね。お誕生日おめでとう。32歳とすこしのきみへ。

 

松本潤らしき人からメールが来た話

次はDVDのネタバレ記事を、とかドヤで言ってたのに全く書けてない。しかしDVDは毎日観ている。頭で考えてることを文字にするの難しいな〜でも楽しいな〜ひさしぶりで恐縮なんですが何の記事を上げるかと言えば迷惑メールの話です。

近頃迷惑メールがくる。
就活をしている関係上、色々なサイトに登録したりアドレスを送る機会が増えた為かなとも思うのだが、それ故にアドレスを変えることもままならない。あと宮城のグッズとかの申込みしちゃったからもう絶対変えられない。でも別にアドレス変えるまでもないか…ってな頻度で微妙に迷惑とも言い切れないくらいのレベル。朝起きたら三通来てるとか、深夜に一通とかそんな感じ。だから現状そのままにしている。

先月はじめ、とうとうわたしのところにもジャニーズから迷惑メールが来た。色んな人の元に届くジャニーズからのメールの話は聞いていたので少しだけ羨ましいとすら思っていたやつだ。いつもだったら知らないアドレスのものはああハイハイまたかという感じで見もせずにすっとスライドして消してしまうのだけれど、その時はなんの知らせか開いてみたのが始まりだった。

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訳の分からん記号はわたしがiOSをアップデートしていない弊害によるもの。「共演」や「潤より。」の文字から、きっとこれは嵐の松本潤くんだと予想される。やったやった。ついにジャニーズからメールが来たぞ。しかも嵐。わたしの担当は二宮さんだけど全然いいぞ。画像には入れてないけどアドレスにはディズニーランドのアトラクションの名前が入っていて、そういうところも潤くんっぽい。
どうやらこの潤くんはわたしと共演経験があり、わたしが結婚することになったのでそのお祝いメールをくれたようだった。テレビで見ている通り律儀で丁寧な人だ。このメールの厚みから察するにおそらくわたしと潤くんはきっと大した関係じゃないんだろう。共演したと言ってもちょっと現場で時間を共にしたとかそのくらいで、「失恋ショコラティエ」で言えばショコラヴィにチョコレートを買いに来たミーハーな客の一人といったところか。けして石原さとみ水原希子水川あさみのようなポジションではない。そんな潤くんの視界の端に入ったか入らないかくらいの役のわたしにまでこんな結婚おめでとうメールをくれるなんて。ありがとうわたし幸せになるね。実際は彼氏のかの字もなくまずは内定がほしいところだけどまあいい。
いもしない夫との幸せを誓い、ついに来たなと喜んでいたのだが、このメールにはまだまだ続きがあった。
約4時間後、事態は動く。

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まずは『メンバーからもご婚約おめでとうございますとの事です』だ。やはり先程の潤は嵐の松本潤くんのことで、メンバーとはあとの4人のことだろう。なんと。あの4人もわたしの結婚を祝ってくれている。もしかしたらあの4人とも挨拶くらいは交わしたことがある間柄だったのかもしれない。4人が祝ってくれるということはすなわち二宮さんが祝ってくれているということだ。どうしよう。夫より二宮さんが実は好きなんですって言ったら軽蔑されるかな…とほんの少しだけ思った。さっき未来を誓った夫(仮)をさっさと見限ろうとしている自分に呆れる。
そしてわたしは8月の第二水曜日、つまり明日にホームパーティーをすることになっており、それを潤くんに伝えたらしい。潤くんが言うのだからきっと何も間違っていない。とりあえず豪勢な料理とたくさんのグラスを用意しておこう。お願いすれば潤くんお得意のパスタも作ってもらえるのではないだろうか。ホームパーティーってやったことないけどそういう感じなんでしょ???潤くんお気に入りのオリーブオイルを持ってきてもらったりデパ地下でちょっといいオードブル買ってきたりするんでしょ???そしてこのパーティーには誰が来るのか気になるところだ。このメールを送った潤くんはもちろん参加してくれそうだが、もしかしたらこちらが声を掛ければ二宮さんも来てくれるのかもしれない。ぜひそうしていただきたい。

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アドレスを潤くんしか知らないというとことはやはり共演したのは潤くんだけで、他の4人としっかりした絡みはなく、ちょっと顔を合わせたことはあるくらいの関係みたいだ。以前しやがれで来るゲストも来るゲストも松本さんとは飲んだことあります、と言うくだりがあったのでもしかしたらそういうことなのかもしれない。うっすら共演経験があり一度くらいは飲みの席を共にし、松本さんが串から外した焼き鳥の最後の一個が回ってきたみたいな経験もあるのかもしれない。そしてわたしの知っている潤くんはこういうときすぐ不安になりそうなイメージがあるので、ちょっと本当に「大丈夫だよ届いてるよ!」と送りそうになったがぎりぎりで踏みとどまった。心配性で相手の反応がないと焦るじゅんくんかわいいね。返事が来ないからたくさん送るのではなく一日待って二通目のメールを送ってくる辺りも潤くんの気遣いを感じてうれしくなってしまう。もちろんA.Mというイニシャルではないのだが、それもまあうっかりというやつだろう。うっかりじゅんちゃんかわいいね。

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これを最後にぱったりと潤くんからのメールはなくなってしまった。
潤くんとわたしを繋ぐ知人はまだわたしに連絡をくれない。もう明日なのに。ここまでに何度か一瞬マジで返事を送りかけたしなんなら展開を楽しみにしていたので少し寂しささえある。そして他の迷惑メールは一瞬で削除してしまうのだけどこのメールはなんとなくそのままにしてある。なんとなく。明日、じゅんくんがパーティーを開いてくれるなんて人生最初で最後のハッピーイベントがもし無くてもなんとなくいいことは起こって欲しい気もする。10円拾うとか録画した番組の編集が超スムーズにいって容量ガン空きするとかそういうのでいい。むしろ後者は今切実に求めている。とりあえずいろいろがんばろう。じゅんくんにパーティーを開いて貰えなくたって、焼き鳥の最後の一個も回って来なくたって、容量が空いてなくたって人生は否応なしに進むのだから。


THE DIGITALIAN という一手

(発売前に書いた記事を今放出しています)

今週、昨年のライブのDVD「ARASHI LIVE TOUR 2014   THE DIGITALIAN」が発売になった。
今回のツアーは個人的な思い入れがすごく強くて、終わった瞬間から発売を待ち望みまくっていた。すこーしネタバレみたいになるかもしれないので注意。がっつりネタバレの記事はまた改めて。

毎年毎回ではないにせよなんだかんだでコンサートにはコンスタントに行けているんだけど(もちろん行けなかったものもあって悔しかったし寂しかった)、アルバムを看板にしたツアーに入るのは「Scene 君と僕の見ている風景」以来4年振り、ドームという建物に入るのは6年振りという数字にするとなかなかな重量感を感じながら参加したツアーだった。しかも初めてツアーのみを目的にした遠征、そして超絶ひさしぶりに、というかほぼほぼ初めての勢いで多ステというものも経験した。十年くらい嵐さんばっかりを追いかけてきたけどまだまだ初めてのことはある。正直に言うとオタクってこんな楽しいのかよ!!なあ!!!?というツアー・ハイみたいな状態に11月と12月はずっと陥っていて、ツアーが終わったあと一週間はその余韻と寂しさの中でゆらゆら揺れている気分だった。こんなに終わるのが寂しかったツアーもなかなか無い。
というのも今回のアルバムがわたしは好きで、ツアーの構成や演出もとっても好きだったのがものすごく大きい。ハワイのライブビューイングを見終わったあと、ひとしきり思い返してぐっとくるという作業を繰り返したあと思ったのは「冬のツアーどうするんだろう」というところだった。15周年のアニバーサリーイヤーだった昨年のハワイは行けなかったわたしにとっても大きな出来事だと言えるくらいにものすごくて(この記事も書きたいなあ)、それと同時にこの後の展開とてつもなく大事だなあとライブ本編はもちろん嵐インハワイを扱ったものを観て思っていた。NHKのドキュメントの締めくくりで言われていた、「次の一手」というところである。アルバムは当然メインになる、でも15周年の要素とのバランスはどうするか?「デジタル」というコンセプトと「アニバーサリー」はどう交わるか?という点だ。この配合難しいよなあ、デジタルだけでも難しそうだしなあ…と松本潤を召喚しない限りけして答えの出ないであろう問答を一人で繰り返していた。
結果としてデジタルという二次元の概念を三次元の嵐とコンサートに取り入れる、その取り入れ方と取り去り方が本当に絶妙で最高で最高!って終わったあとに思った。デジタルというプラグを取り外しするみたいに、音楽や照明、そしてわたしたちに与えられたファンライトを介してあの瞬間五人はたしかにデジタルと融合し、溶け込んで、境目を一瞬取り払った。次元の壁も有機と無機もぜんぶ越えて。もしかしたらこのファンライトはその越境の瞬間を見る為のそれだったんじゃないかと思うくらいに圧倒的で特別なそれだった。オープニングで脈打つみたいに赤く鼓動して、一曲目のイントロで視界を真っ白に染め上げたあの驚きは忘れようがない。わたしは事前ネタバレがんがんOKの人間なので流れてくるレポも読んだりしていたけど文字で表現出来る限界を優に越えて、そこは明らかに現実の世界ではなかった。
懸念していたアニバーサリーの要素はアンコールでの二部構成の形で完全に世界観が分けられていた。こんな世界想像できる訳がない。
これが「次の一手」だ、と思った。
選択肢で言えば、ハワイでやったものを再度構成し直して今年は15周年の年だからという理由で思い出を振り返るようなものでツアーの形をとっても別に責めるひとは誰も居ないだろうと思う。15周年なのは間違いじゃない。ハワイのコンサートに行けなかった人の方が総数的には多いのだから。でも、きっとその選択肢は松本潤を始めとしたメンバーの中に浮かびもしなかったと思う。きっとね。憶測です。15周年だ!めでたい!祭り!という意識よりもここから16年目が始まるんだという認識の強さをアルバムのコンセプトや各インタビューで感じていたから、だからこそこのツアーの示す方向はとても重要なんだと思った。ここからどう展開するか。ちょっと大袈裟に言うと、ここでこのタイミングで何を出してくるかによって嵐というグループが今後どうなるか?というところ。
だから新しい局面やステージを展開する気満々のアルバム、構成、セトリ、演出がわたしはとても嬉しかった。わたしの中の嵐というグループはいつまで経っても「国民的グループ」という冠よりも、「攻めのグループ」という冠の方がしっくりくる。嵐は爪を隠しながら、でも確実にその爪は常に万全な状態に研ぎ澄ましているグループだと思う。そんなグループだから好きで好きで仕方なくて、そしてついてこれたのだ。嵐にはどんな形であれ、どんな状況であれ、やはり攻めの姿勢を保っていてほしい。そうするためなら少し歩みを遅くしたって、なんならもう一回来た道を戻ってもいいと勝手に思っている。それは後退ではなくて助走であって、後ろに引っ張って手を離すと勢いよく走る車のおもちゃみたいにそれもぜんぶエネルギーに出来る、してきたグループだと思うからだ。だから、正の感情も負も感情もぜんぶ大きな塊にしてエネルギー源として爆発させたみたいな嵐のコンサートはわたしはすごく好き。


と、まあこんなあたりまでのろのろ書いてたらDVDが出てしまったので次はがっつりネタバレの記事を上げるつもりです。

自担を「好色青年」と称されたオタクが語るゴシップについてのYes or No

わたしが好きになった二宮和也さんという人は芸能人だ。
もちろん芸能人だから好きになったのであって、「好きになった人がたまたま芸能人でしたーーー」という感情は全くない。下町の工場で生まれた男の子が30歳を過ぎてなお芸能の世界に身を置いて前線に立ち続けて居てくれる事実がうれしい。嫌なことといいこと、数えたら絶対に後者ばかりではないことくらい違う世界にいるわたしですら分かる。それでもなお目に見える世界に、場所に居てくれる。テレビを付ければ出ている。ありがたさしか今は正直なかったりする。
しかし、故につきまとうもの。それはゴシップやスキャンダルかと思う。今日はそう言ったお話です。苦手な人は避けてくださいね。

二宮さんは比較的、そういったお話が多い人だと思う。クラブで派手に女の子と遊び回る様子がすっぱ抜かれるのではなく、これまで単純に回数が多かった。モデルや女優と噂が立つ回数が多く、「ジャニーズきってのプレイボーイ」という書き出しで記事が始まることがわりと少なくない。(最近めっきり減りはしましたが)だからと言ってつらすぎ担降りしょ。。とかはこれまで一度も思ったことがない。彼女がいるから担降り、という思考にまずならないしなる予定もないだろうと自分の性格を省みて思う。そしてわたしが降りる時はすなわちオタ卒を意味する。話半分くらいで聞いてへえ〜って思って、あとはあんまり引きずらなかったりまあちょっとは引きずったり。
わたしがファンになったのと我が家にインターネットが導入されたのはほぼ同時で、そこで見つけた少し前に大々的に写真と共に出た女優とのスキャンダルは当時小学生だったわたしにまあまあのショックを与えた。写真の存在はやはり生々しい。わたしの周りに今にのみやさんのことが好きで好きで仕方がない小学生がいたら絶対にその子にその写真は近付けないようにすると思う。そこからしばらくして二宮さんが20を越えたあと、スポーツ紙の一面に名前が載った。共演経験のある女優とだった。その日は祖母の家に帰省した翌日で、朝起きて居間の扉を開けたらちょうどやっていたとくダネで二宮さんと相手方の写真が並んで画面に映っていた瞬間の映像がもう8年も前のことなのにわたしの記憶の中にくっきりと残っている。写真と写真の間にピンクのハートが揺れていたことも。それを見ていた自分のなんとも言えない気持ちもはっきりと覚えている。衝撃が海馬に与えるインパクトの凄まじさを実感する。この女優をテレビやCMで見かけてもチャンネルを変えずにいられるまで5年かかった。とんだリハビリ期間だ。
そして一番記憶に新しいのはモデルとのスキャンダルである。もう4年も前だけど上記の女優と同様今もなお現役でテレビに出ている。しかし大きく違うのは、ツーショットの写真の有無だった。前回はないが、今回は写真があった。写真が出た当時少し気持ちが離れ気味だったわたしは、おっどれどれいっちょ見てやりますかくらいの気持ちで自ら検索をかけて見たのだが、やっぱり見た瞬間は胃の中がざっと冷えた。気持ちが多少離れてもやっぱつらいもんはつらいんだな……おたくめんどくさい………。そう思ってどっと疲れた。元々好きじゃなかったのもあるけれど、今もこの方がテレビに出ていると一瞬でチャンネルを変える。トラウマ化している。
見出しや写真として大きく扱われたのはこの辺りだけど細かい噂やプレイボーイっぷりはまあいろいろ書かれたりしてその度にささやかに一憂していた。その中にあったのが「好色青年」というフレーズだ。今となっては笑えもするけれど、当時のわたしはとんでもないインパクトとダメージを受けた。電車の中吊りで初めてこのフレーズが自担に与えられていることに気付いたときはさすがに全部剥がして回りたい衝動に駆られたのだった。好色青年て。あまりにもじゃないか。

前提としてわたしは二宮さんから真っ向否定の言葉があれば丸々信じるようにしていて、それが信じられなくなったら終わりだなとぼんやり思うからだ。二宮さんの言葉はおそろしいことにわたしにとって何よりも特別で、他の何にも影響を受けず「二宮さんの言葉」として他のものと別の引き出しにするりと分類されるようになっている。それを自分のものにするかはまた別の話だ。二度目の報道がスポーツ紙の一面を飾った数日後、嵐は福岡で公演を行った。ちょうど夏のツアーの真っ最中だったのだ。ここで何か本人から発言があるかどうか。ちょうどブログ最盛期の頃、時計を気にしながらF5を押しまくっていたのはわたしだけじゃなかったと思う。
実際二宮さんはもう真っ向からMCやらそこかしこで否定し倒していたらしい。コトバノチカラをサブタイトルに冠したツアーだったこともあり、最後の挨拶で「何も心配しなくていいからついてこいよ!」という旨の発言があったというレポを読んでやっぱりこの人の言葉は信じていきたいと思ったのだった。
(だから三度目のとき「友達の一人です」的なことを言ってたって聞いてアッ(察し)て思ったのはまた別の話なんだけどネ…☆)

こうした経緯を経て、わたしを含む二宮担の一部がこういった話に耐性がつくのは当然といえば当然なのかもしれない。たぶん慣れちゃいけないんだけど、なんとなく慣れてしまった。ふーん、で済まされるようになったり、なんならちょっと萌えたりしてる時もある。前置きが長くなったけどそのボーダーを考えていきたい。


  • ☆写真は出ておらず記事や見出しのみ
わたしの許容範囲、というかふーんそうなんだ〜で済まされるラインは写真が出ているかどうか。写真が出ていれば信じる(しかない)けれど、写真が出てないならいいや、という考え方にここ5年くらいはしている。火のないところに煙は立たない?そんなのわかんないぞ立つかもしれないだろ!!という持論。その痕跡がない限り噂でしかないので、同じ二宮担と飲む肴にすらしてしまっている。(前に出たこの類の記事はそういった意味でお世話になった。待ち合わせちゃんと来てくれるだけありがたいよね〜〜二宮さんが誕生日プレゼントくれるなんて最高だよ〜〜〜など。もう何もかも麻痺した酒宴である)

  • ☆☆路上などでのワンショットの写真のみ、ソースが不確か
所謂「事務所関係者談」とか「二人をよく知る知人」みたいなパターンで写真もツーショットではなく私服でのワンショット。「このあと麻布の個室居酒屋で合流し朝まで過ごした」という一文が下に添えられている。これも気にしない。ワンショットだから!ワンショット!だから!!気にしない!!私服こんなんなんだ〜あっこのジャケットなんかで見たな〜フンフンで済ませよ?そうしよ?その個室居酒屋で二人きりって確証はどこにもないよウンウン

  • ☆☆☆ツーショット 明らかに二人でいる状態
終了。

スキャンダルが出て写真が出るとわたしは少し笑ってしまう。二宮さんのこういう時の写真は、相手のマンションに入って行く瞬間をスクープ!みたいなたまたま撮れちゃいました☆っていう感じじゃなくてがっつりツーショットでキメッ☆みたいな写真ばっかりが流れてくるので笑っちゃうのも許してほしい。二宮さんのこと大好きだけど警戒心ゼロなのも考えものだよ。見慣れた二宮さんがテレビで見たことのない雰囲気を纏って写真に写り、その横には女性がいる。やっぱりちょっと現実味がなくて笑ってしまって、そのあとにふとああこの人と付き合ってるのかとぼんやり思う。そして相手の女性がほんの少し、いやだいぶ、苦手になるのだ。

別に恋愛をしないでくれって言ってる訳じゃない。30を過ぎた男の人が恋人も作らず仕事だけやってるその不健全さも分かってるつもりだ。だから別に恋愛をしてほしくない訳じゃない。「アイドルである前に一人の男の人なんだから恋愛も応援しようよ!」みたいなのはテンション的に同意しかねるけど、まあ言ってる意味は分かる。
でも、「一人の男の上にアイドルって肩書きが乗ってるんだからな!?」という気持ちがある。要するにバレないようにうまいことやってくれればいいのだ。別にこっちだって恋人がいないなんて思ってる訳じゃないよ、現実問題。だってこんなにかっこいい。わたしが好きになるくらいだから相当かっこいいよ自信持っていいよ。よく非オタから言われる「えっもしかして付き合えるって思ってんの?(笑)」とかそういう意味で夢を見たい訳じゃない。つーかなんだよこの質問バカにしてんのか…
そういうことじゃなくて、この人が言う「好きな女の子のタイプ」や二宮さんが書いた詞の中の「君」はこの子を指しているのか…とか余計な邪念が入り込んでくるのが嫌なんだ。こっちが敏感に意識せざるを得なくなる。きらきらした世界を見つめて、その眩しさのお陰で曖昧に霞んでぼやけているところに救われて直視せずに済んでる部分は山ほどある。わざわざピントを合わせてくれなくていい。そのままでいい。そのぼやけた部分を想像して答えが出ないのが楽しい。都合のいいように解釈出来るところが楽しいのだ。きらきらした世界の眩しさにひたすら目を細めていたい。それだけでいい。それだけがいいのだ。現実にいる人たちにその世界を見せてもらっていることは分かっている。恋をしてほしくない訳じゃない。当たり前のことをどんどん当たり前に経験して感じてほしい。でもごめん、そこは見なくていいや。そう思ってしまう。これはオタクのエゴだ。身勝手だ。こんなに好きだから色んな経験をして、誰よりも幸せでいてくれなきゃ困る。結婚して家庭を作るのが幸せの全部だと考えるならそうしてほしい。でも誰か一人だけを幸せにしようとしているのは、幸せでいてくれなきゃという気持ちの大きさと同じくらいに寂しくなってしまうのだ。以前、朝起きてお仕事が決まっていたら…という記事を上げたが、同時に朝起きて自担が結婚することになってたらどうしよう、ということもよく考える。昔に経験した、扉を開けたら自担の熱愛が出ているのと同様に朝起きたら自担が結婚しているということも大いにあり得る。事前に知る由もなく、無防備な状態でその知らせがやってくる日をわたしは耐えられるだろうか。それともやっぱりいつも通り少し笑ってしまうのだろうか。

つい最近、週刊誌に二宮さんの名前が載った。女優さんの名前と共に書かれた見出しを確認して開く。ソース元も記事の大きさも大したものではなかったけど、それ自体がものすごく久しぶりだったから正直わくわくにやにやしていた。どんな記事にせよ読む前は大体一貫してこんな感じで、読んだあとにもやもやしたりにやにやしたりするのだ。久しぶりに二宮さん、うっかりしちゃいましたかね????んん????という顔も心もにやついた状態で読み始めた。実際は六本木のカラオケ屋のVIPルームでドラクエ好きがパソコンを持ち寄りネトゲに励むオフ会に参加していた…というもうどこから突っ込めばいいのかわからない記事だった。なんだよ!ちょっとどきどきしながら開いたのに!さっきまでのどきどき返してくれよ!!
この記事から得たものは出不精極まりない二宮さんもオフ会なんぞに参加するのだろうか…という一縷の可能性と六本木のカラオケ屋にはVIPルームがあるという情報のみだった。その時に感じたのは別に誰かと撮られた訳じゃなく、相変わらずゲームと共に生活してる二宮さんらしさという点での安堵と、いい歳してゲームですか、みたいな呆れが記事の裏に透けていて別にええやろって思うけど実際この記事が多売されてるんだよな…という点でのほんの少しの恥ずかしさだった。恋愛絡みのスクープはないに越したことはない。でもちょっとどきどきしたのがばかみたいだし、しかも内容これかよ…とぐったりする。やっぱりオタクってめんどくさい生き物だ。

にのあい偏食家が天然コンビについて考える

昨日天然ちゃん二人でラジオにゲスト出演していましたね。ラジオにゲスト、しかも天然コンビで、なんてわりと珍しい話なので思わず聴いた。
以下いつもの五割増しで中身がないので注意。

わたしはタイトルの通りもうおもっきしのにのあい厨でにのあいに凝り固まって偏った思想の人間なので逆ににのあいを語ることができない。にのあいをどう楽しんでいるかと言うと、断片的にエピソードを拾ったり繋ぎ合わせたりして考察をしている。それはそれはもう真剣に。かわいい!!!っつってじたばたしたあとに過去の色んな出来事を引っ張ってきてゲンドウのポーズで頭を抱えている。にのあいは怖い。不用意に踏み出す一歩が実はとんでもない真っ暗で底が見えない湖で、足がつかないくらい深い可能性が高いからだ。だから一歩目がこわい。いつかこのブログでにのあいについて考える日がくるかもしれないけれど、それが出来るのはもう少し先だ。わたしはにのあいにマジなので(※笑うところです)今Jr.時代や買っていなかった雑誌を懸命に資料として集めている。(※笑うところです)

そんなわたしがよもや嵐のコンビの中で真っ先に天然ちゃんについて語るとは。勢いっておそろしいけどやろう。なんの知識や記憶もないのでざっくりイメージで進むよ。
天然ちゃんと言うのは大野・相葉のことで、名の通りメンバーの中で最も派手に天然な二人だからこう呼ばれている。(はず。なんか具体的な由来あったっけ)
今日のラジオや色んなエピソードを聞いていて思ったけどこの二人は本当に平和だ。平和の象徴だ。VSでペアを組むときも思うけれど、この二人で国を作ったら間違いなく争いの一切ない花と緑が咲き乱れるそれはそれは美しい国になるだろうなって毎回思う。あとツイッターにも書いたけどどこか違う星の人たちだと思ってるので俗世の流行や常識は知ってるのかなとも思う。ばかにしている訳じゃなくて、例えばわたしたちがスロバキアの今の流行がペポラッタですって言われたらえっ何それ?って思うのと同じことで、自分に関わりがないものを知らないのは当然のことだと思う。だからぐるなびとかホットペッパーとか知ってるのかなって不思議になる。相葉くんが久しぶりに電車に乗った時にスイカやパスモを使っている人を「ピッて!すげースムーズ!」と言って茶の間をざわつかせたことを思い出す。これはまあ二宮さんにも言えることなんだけど…。ちなみにペポラッタは1秒でつくった造語です。

わたしにとって美しく平和と豊かさと穏やかさの象徴である天然ちゃんだけど、その裏にはものすごくリアリストな側面がある。この二人は元々ロマンチストでは全くなくて少し不思議なところもあるし全体像が掴めないのが特徴だと思う。
昨日のラジオでも昔相部屋が多かった二人は一緒に絵を描こうということになって大野くんはキャラクターを、相葉くんは手近にあったポットを描き始めたという話をしていた。正直どうしてそうなったのかわからないけどわたしはこの二人はイルカのように言語とは別の器官で疎通を図れる二人だという認識なので今更なんとも思わない。けどそこに松本櫻井二宮が居たらまず絵を描こうという段階でひとツッコミ入っていると思う。

ここからはわたしの天然ちゃんイメージという名の創作ファンタジーなので読み飛ばしてね。
さっき言ったように二人が作る国はどこよりも美しくて水や緑が豊かで争いがなく穏やかで平和な国だと思う。国民の満足度は全員高く、みんなが二人を慕っているし二人も国民ひとりひとりが好き。そんな国。でもアハハウフフでお花畑な二人が作ったばかな国ではなくて、かつて二人がかつて争いの中で経験した無力感の元に成り立っているような国。ええい妄想ぶちまけるぞ。かつて優秀な兵士だった二人。しかし心根の優しい二人は敵とは言え相手を殺して、それが当たり前になっている国に嫌気が差していた。その気持ちとは裏腹に表彰されたりする自分にも。ある時大きな国同士の戦争が起こる。優秀な兵士としての役割を全うする二人だったが、敵味方関係なく一面に散らばる屍を見て呆然とするあいばくん。そんなあいばくんを支えながらすっと涙を流して「もうやめよう、こんなこと」って呟くおおのくん。翌朝二人はその国から姿を消していたーーーみたいな。そんな傷付け傷付いたたくさんの犠牲の上に二人の美しい国があるんだと思う。長い妄想終わり。(プーシリーズの影響もあるかもしれないけど血を浴びて涙を流すおおのくんや呆然と佇むあいばくんがどうしても見たい。映画とかで)
何が言いたいかと言うと、ただただ楽しいね〜〜って笑ってるのではなくて、色んなことがあった上で、ここで笑ってられる今があってよかったね、楽しいね、しあわせだね、みたいな。ちゃんと現実を見て今を見てそれを噛み締めて笑っているようなそんな二人。二人が居るのは理想郷なんかではない。嵐でよかったねって泣く二人は天然って言われてるけれど地に足をつけて現実を見て残酷さも知った上で平和にふんわりと笑えている。並の人間よりよっぽど強いと思う。
ここまで書いてて思い出したのが話題のジャニーズ村焼き論だった。大野くんと相葉くんは情があってもなくても、散々悩んで焼かない方法を模索して結局どうにもならなくて焼く。それはもう辛そうな苦しそうな顔をしながら大きくなる炎を見つめている。そんなイメージ。

いつにも増して訳が分からないことを言っている自覚はあるけど自覚はあるだけ許してほしい。平和で穏やか。ラブアンドピース。進まないけど戻りもしない。にのあいと何が明確に違うか簡単に言うと、にのあいはどこか湿気を帯びている生乾きだ(主に二宮さん)けど天然ちゃんはとっくに乾いておひさまを吸い込んでふんわりしてる。無害だけど少し毒っ気があって音を立てずに最短で真理に辿り着いてしまうようなそんな二人を遠巻きに見守っていきたい。

宮城に行きますという話

当落日というのはジャニオタを何年やっても何回経験しても緊張する日だ。
申込みをした後からずっと落ち着かなくて、どうにか当たりたい願望とこんだけ人数居るぜ(実数的な意味で)状態なんだから無理だょ。。という気持ちが日常の中で交互にやってきて汚い話吐きそうになる。
先週、一年の中で何回経験するかどうかのその緊張の日があった。9月に宮城県で行われるコンサート、ARASHI BLAST in Miyagiの当落日である。"BLAST"を冠したコンサートは昨年のハワイに続き二度目。
宮城に決まった時はさすがに驚いた。日経エンタか何かのインタビューでBLASTを恒例にして色んな地域を回っていきたいと語られていたので、アジアとか回るのか…パリならいけるって自担言ってたな…パスポート取らねば…とかのぼんやりした想像を正直ひっくり返された気分だった。国内か。宮城か。グランディ時代も行ったことがなかったから、正直わたしの縁の中には無い土地だった。幸い最終日だけ宿が取れたので狙うならそこ、当たらなかったらキャンセルしよう…というところまでで思考を止めた。

7月15日18:30、その時はやって来た。
もちろんこの日に向け覚悟はしていたし、いつ来るか考えないように意識して…る時点でめっちゃ考えてるやん……。という初恋?これがアオハルか???みたいな気持ちを抱えて死んだ目で一日を過ごしていたのだが、いざその時が来ると胸の辺りが一気に圧迫されるみたいな感覚になった。苦しい。もう結果出てる、TLを見る、ああこの子当たったのか……やばいもう鬱……。明らかに体調が悪くなりながら夕食のそうめんを押し込みメールを待っていたものの一向に来ない。auメールがここのところ不調なのは知っていたのである程度覚悟はしていた。しかし体調も情緒もどんどん不安定になっていく。知りたくないけど知りたい。知りたいけど知りたくない。のループで頭がおかしくなりそうだった。毎回の話だけど。
30分経っても何の音沙汰もなかったのでいい加減キレ、母に一方的に「もういい電話で聞く!!!メール来ない!!!!」と宣言し(予想通り無視された)、ナビダイヤルにかけることにした。繋がらねえ………
「嵐 コンサート」でわざわざ登録してある番号に惰性でかけ続ける。ナビダイヤルでお繋ぎします、のあの一瞬の間で全神経がぐわっと研ぎ澄まされて聴力が普段の3倍くらい上がる実感があった。無音でこんなのやってられねえよ!と思い流していたHERO(録画)を慌てて止めて、全部を右耳に集中させた。
実際のアナウンスは覚えていないけど、当選ですって言われた気がする。気付いたらばーって泣いてた。ほんとに全然泣くつもりなんてこれっぽっちもなかったのに、気付いたら泣いてて自分でもちょっと驚いた。というか引いた。でも行ける。よかった。電話を切ってふと見たディスプレイの「嵐コンサート」の横に表示された数字が(99)になっていたのだけ何故か鮮明に覚えている。
初めて宮城に行く。しかも初めてのスタジアムライブである。まさかグランディでなくひとめぼれスタジアムに行くとは小学生の自分も三年前嵐から離れていた自分も去年の自分ですら全く思っていなかったと思うけど、その時の自分に教えてあげたい。信じられないかもしれないけど、就活の年に宮城でやる嵐のコンサート行くからね。そう言ったら小学生の、三年前の、去年の自分は、笑って許してくれるだろうか。