ぜんぶきみのもの

にのみやさんに納税したい

自担を「好色青年」と称されたオタクが語るゴシップについてのYes or No

わたしが好きになった二宮和也さんという人は芸能人だ。
もちろん芸能人だから好きになったのであって、「好きになった人がたまたま芸能人でしたーーー」という感情は全くない。下町の工場で生まれた男の子が30歳を過ぎてなお芸能の世界に身を置いて前線に立ち続けて居てくれる事実がうれしい。嫌なことといいこと、数えたら絶対に後者ばかりではないことくらい違う世界にいるわたしですら分かる。それでもなお目に見える世界に、場所に居てくれる。テレビを付ければ出ている。ありがたさしか今は正直なかったりする。
しかし、故につきまとうもの。それはゴシップやスキャンダルかと思う。今日はそう言ったお話です。苦手な人は避けてくださいね。

二宮さんは比較的、そういったお話が多い人だと思う。クラブで派手に女の子と遊び回る様子がすっぱ抜かれるのではなく、これまで単純に回数が多かった。モデルや女優と噂が立つ回数が多く、「ジャニーズきってのプレイボーイ」という書き出しで記事が始まることがわりと少なくない。(最近めっきり減りはしましたが)だからと言ってつらすぎ担降りしょ。。とかはこれまで一度も思ったことがない。彼女がいるから担降り、という思考にまずならないしなる予定もないだろうと自分の性格を省みて思う。そしてわたしが降りる時はすなわちオタ卒を意味する。話半分くらいで聞いてへえ〜って思って、あとはあんまり引きずらなかったりまあちょっとは引きずったり。
わたしがファンになったのと我が家にインターネットが導入されたのはほぼ同時で、そこで見つけた少し前に大々的に写真と共に出た女優とのスキャンダルは当時小学生だったわたしにまあまあのショックを与えた。写真の存在はやはり生々しい。わたしの周りに今にのみやさんのことが好きで好きで仕方がない小学生がいたら絶対にその子にその写真は近付けないようにすると思う。そこからしばらくして二宮さんが20を越えたあと、スポーツ紙の一面に名前が載った。共演経験のある女優とだった。その日は祖母の家に帰省した翌日で、朝起きて居間の扉を開けたらちょうどやっていたとくダネで二宮さんと相手方の写真が並んで画面に映っていた瞬間の映像がもう8年も前のことなのにわたしの記憶の中にくっきりと残っている。写真と写真の間にピンクのハートが揺れていたことも。それを見ていた自分のなんとも言えない気持ちもはっきりと覚えている。衝撃が海馬に与えるインパクトの凄まじさを実感する。この女優をテレビやCMで見かけてもチャンネルを変えずにいられるまで5年かかった。とんだリハビリ期間だ。
そして一番記憶に新しいのはモデルとのスキャンダルである。もう4年も前だけど上記の女優と同様今もなお現役でテレビに出ている。しかし大きく違うのは、ツーショットの写真の有無だった。前回はないが、今回は写真があった。写真が出た当時少し気持ちが離れ気味だったわたしは、おっどれどれいっちょ見てやりますかくらいの気持ちで自ら検索をかけて見たのだが、やっぱり見た瞬間は胃の中がざっと冷えた。気持ちが多少離れてもやっぱつらいもんはつらいんだな……おたくめんどくさい………。そう思ってどっと疲れた。元々好きじゃなかったのもあるけれど、今もこの方がテレビに出ていると一瞬でチャンネルを変える。トラウマ化している。
見出しや写真として大きく扱われたのはこの辺りだけど細かい噂やプレイボーイっぷりはまあいろいろ書かれたりしてその度にささやかに一憂していた。その中にあったのが「好色青年」というフレーズだ。今となっては笑えもするけれど、当時のわたしはとんでもないインパクトとダメージを受けた。電車の中吊りで初めてこのフレーズが自担に与えられていることに気付いたときはさすがに全部剥がして回りたい衝動に駆られたのだった。好色青年て。あまりにもじゃないか。

前提としてわたしは二宮さんから真っ向否定の言葉があれば丸々信じるようにしていて、それが信じられなくなったら終わりだなとぼんやり思うからだ。二宮さんの言葉はおそろしいことにわたしにとって何よりも特別で、他の何にも影響を受けず「二宮さんの言葉」として他のものと別の引き出しにするりと分類されるようになっている。それを自分のものにするかはまた別の話だ。二度目の報道がスポーツ紙の一面を飾った数日後、嵐は福岡で公演を行った。ちょうど夏のツアーの真っ最中だったのだ。ここで何か本人から発言があるかどうか。ちょうどブログ最盛期の頃、時計を気にしながらF5を押しまくっていたのはわたしだけじゃなかったと思う。
実際二宮さんはもう真っ向からMCやらそこかしこで否定し倒していたらしい。コトバノチカラをサブタイトルに冠したツアーだったこともあり、最後の挨拶で「何も心配しなくていいからついてこいよ!」という旨の発言があったというレポを読んでやっぱりこの人の言葉は信じていきたいと思ったのだった。
(だから三度目のとき「友達の一人です」的なことを言ってたって聞いてアッ(察し)て思ったのはまた別の話なんだけどネ…☆)

こうした経緯を経て、わたしを含む二宮担の一部がこういった話に耐性がつくのは当然といえば当然なのかもしれない。たぶん慣れちゃいけないんだけど、なんとなく慣れてしまった。ふーん、で済まされるようになったり、なんならちょっと萌えたりしてる時もある。前置きが長くなったけどそのボーダーを考えていきたい。


  • ☆写真は出ておらず記事や見出しのみ
わたしの許容範囲、というかふーんそうなんだ〜で済まされるラインは写真が出ているかどうか。写真が出ていれば信じる(しかない)けれど、写真が出てないならいいや、という考え方にここ5年くらいはしている。火のないところに煙は立たない?そんなのわかんないぞ立つかもしれないだろ!!という持論。その痕跡がない限り噂でしかないので、同じ二宮担と飲む肴にすらしてしまっている。(前に出たこの類の記事はそういった意味でお世話になった。待ち合わせちゃんと来てくれるだけありがたいよね〜〜二宮さんが誕生日プレゼントくれるなんて最高だよ〜〜〜など。もう何もかも麻痺した酒宴である)

  • ☆☆路上などでのワンショットの写真のみ、ソースが不確か
所謂「事務所関係者談」とか「二人をよく知る知人」みたいなパターンで写真もツーショットではなく私服でのワンショット。「このあと麻布の個室居酒屋で合流し朝まで過ごした」という一文が下に添えられている。これも気にしない。ワンショットだから!ワンショット!だから!!気にしない!!私服こんなんなんだ〜あっこのジャケットなんかで見たな〜フンフンで済ませよ?そうしよ?その個室居酒屋で二人きりって確証はどこにもないよウンウン

  • ☆☆☆ツーショット 明らかに二人でいる状態
終了。

スキャンダルが出て写真が出るとわたしは少し笑ってしまう。二宮さんのこういう時の写真は、相手のマンションに入って行く瞬間をスクープ!みたいなたまたま撮れちゃいました☆っていう感じじゃなくてがっつりツーショットでキメッ☆みたいな写真ばっかりが流れてくるので笑っちゃうのも許してほしい。二宮さんのこと大好きだけど警戒心ゼロなのも考えものだよ。見慣れた二宮さんがテレビで見たことのない雰囲気を纏って写真に写り、その横には女性がいる。やっぱりちょっと現実味がなくて笑ってしまって、そのあとにふとああこの人と付き合ってるのかとぼんやり思う。そして相手の女性がほんの少し、いやだいぶ、苦手になるのだ。

別に恋愛をしないでくれって言ってる訳じゃない。30を過ぎた男の人が恋人も作らず仕事だけやってるその不健全さも分かってるつもりだ。だから別に恋愛をしてほしくない訳じゃない。「アイドルである前に一人の男の人なんだから恋愛も応援しようよ!」みたいなのはテンション的に同意しかねるけど、まあ言ってる意味は分かる。
でも、「一人の男の上にアイドルって肩書きが乗ってるんだからな!?」という気持ちがある。要するにバレないようにうまいことやってくれればいいのだ。別にこっちだって恋人がいないなんて思ってる訳じゃないよ、現実問題。だってこんなにかっこいい。わたしが好きになるくらいだから相当かっこいいよ自信持っていいよ。よく非オタから言われる「えっもしかして付き合えるって思ってんの?(笑)」とかそういう意味で夢を見たい訳じゃない。つーかなんだよこの質問バカにしてんのか…
そういうことじゃなくて、この人が言う「好きな女の子のタイプ」や二宮さんが書いた詞の中の「君」はこの子を指しているのか…とか余計な邪念が入り込んでくるのが嫌なんだ。こっちが敏感に意識せざるを得なくなる。きらきらした世界を見つめて、その眩しさのお陰で曖昧に霞んでぼやけているところに救われて直視せずに済んでる部分は山ほどある。わざわざピントを合わせてくれなくていい。そのままでいい。そのぼやけた部分を想像して答えが出ないのが楽しい。都合のいいように解釈出来るところが楽しいのだ。きらきらした世界の眩しさにひたすら目を細めていたい。それだけでいい。それだけがいいのだ。現実にいる人たちにその世界を見せてもらっていることは分かっている。恋をしてほしくない訳じゃない。当たり前のことをどんどん当たり前に経験して感じてほしい。でもごめん、そこは見なくていいや。そう思ってしまう。これはオタクのエゴだ。身勝手だ。こんなに好きだから色んな経験をして、誰よりも幸せでいてくれなきゃ困る。結婚して家庭を作るのが幸せの全部だと考えるならそうしてほしい。でも誰か一人だけを幸せにしようとしているのは、幸せでいてくれなきゃという気持ちの大きさと同じくらいに寂しくなってしまうのだ。以前、朝起きてお仕事が決まっていたら…という記事を上げたが、同時に朝起きて自担が結婚することになってたらどうしよう、ということもよく考える。昔に経験した、扉を開けたら自担の熱愛が出ているのと同様に朝起きたら自担が結婚しているということも大いにあり得る。事前に知る由もなく、無防備な状態でその知らせがやってくる日をわたしは耐えられるだろうか。それともやっぱりいつも通り少し笑ってしまうのだろうか。

つい最近、週刊誌に二宮さんの名前が載った。女優さんの名前と共に書かれた見出しを確認して開く。ソース元も記事の大きさも大したものではなかったけど、それ自体がものすごく久しぶりだったから正直わくわくにやにやしていた。どんな記事にせよ読む前は大体一貫してこんな感じで、読んだあとにもやもやしたりにやにやしたりするのだ。久しぶりに二宮さん、うっかりしちゃいましたかね????んん????という顔も心もにやついた状態で読み始めた。実際は六本木のカラオケ屋のVIPルームでドラクエ好きがパソコンを持ち寄りネトゲに励むオフ会に参加していた…というもうどこから突っ込めばいいのかわからない記事だった。なんだよ!ちょっとどきどきしながら開いたのに!さっきまでのどきどき返してくれよ!!
この記事から得たものは出不精極まりない二宮さんもオフ会なんぞに参加するのだろうか…という一縷の可能性と六本木のカラオケ屋にはVIPルームがあるという情報のみだった。その時に感じたのは別に誰かと撮られた訳じゃなく、相変わらずゲームと共に生活してる二宮さんらしさという点での安堵と、いい歳してゲームですか、みたいな呆れが記事の裏に透けていて別にええやろって思うけど実際この記事が多売されてるんだよな…という点でのほんの少しの恥ずかしさだった。恋愛絡みのスクープはないに越したことはない。でもちょっとどきどきしたのがばかみたいだし、しかも内容これかよ…とぐったりする。やっぱりオタクってめんどくさい生き物だ。