ぜんぶきみのもの

にのみやさんに納税したい

THE DIGITALIAN という一手

(発売前に書いた記事を今放出しています)

今週、昨年のライブのDVD「ARASHI LIVE TOUR 2014   THE DIGITALIAN」が発売になった。
今回のツアーは個人的な思い入れがすごく強くて、終わった瞬間から発売を待ち望みまくっていた。すこーしネタバレみたいになるかもしれないので注意。がっつりネタバレの記事はまた改めて。

毎年毎回ではないにせよなんだかんだでコンサートにはコンスタントに行けているんだけど(もちろん行けなかったものもあって悔しかったし寂しかった)、アルバムを看板にしたツアーに入るのは「Scene 君と僕の見ている風景」以来4年振り、ドームという建物に入るのは6年振りという数字にするとなかなかな重量感を感じながら参加したツアーだった。しかも初めてツアーのみを目的にした遠征、そして超絶ひさしぶりに、というかほぼほぼ初めての勢いで多ステというものも経験した。十年くらい嵐さんばっかりを追いかけてきたけどまだまだ初めてのことはある。正直に言うとオタクってこんな楽しいのかよ!!なあ!!!?というツアー・ハイみたいな状態に11月と12月はずっと陥っていて、ツアーが終わったあと一週間はその余韻と寂しさの中でゆらゆら揺れている気分だった。こんなに終わるのが寂しかったツアーもなかなか無い。
というのも今回のアルバムがわたしは好きで、ツアーの構成や演出もとっても好きだったのがものすごく大きい。ハワイのライブビューイングを見終わったあと、ひとしきり思い返してぐっとくるという作業を繰り返したあと思ったのは「冬のツアーどうするんだろう」というところだった。15周年のアニバーサリーイヤーだった昨年のハワイは行けなかったわたしにとっても大きな出来事だと言えるくらいにものすごくて(この記事も書きたいなあ)、それと同時にこの後の展開とてつもなく大事だなあとライブ本編はもちろん嵐インハワイを扱ったものを観て思っていた。NHKのドキュメントの締めくくりで言われていた、「次の一手」というところである。アルバムは当然メインになる、でも15周年の要素とのバランスはどうするか?「デジタル」というコンセプトと「アニバーサリー」はどう交わるか?という点だ。この配合難しいよなあ、デジタルだけでも難しそうだしなあ…と松本潤を召喚しない限りけして答えの出ないであろう問答を一人で繰り返していた。
結果としてデジタルという二次元の概念を三次元の嵐とコンサートに取り入れる、その取り入れ方と取り去り方が本当に絶妙で最高で最高!って終わったあとに思った。デジタルというプラグを取り外しするみたいに、音楽や照明、そしてわたしたちに与えられたファンライトを介してあの瞬間五人はたしかにデジタルと融合し、溶け込んで、境目を一瞬取り払った。次元の壁も有機と無機もぜんぶ越えて。もしかしたらこのファンライトはその越境の瞬間を見る為のそれだったんじゃないかと思うくらいに圧倒的で特別なそれだった。オープニングで脈打つみたいに赤く鼓動して、一曲目のイントロで視界を真っ白に染め上げたあの驚きは忘れようがない。わたしは事前ネタバレがんがんOKの人間なので流れてくるレポも読んだりしていたけど文字で表現出来る限界を優に越えて、そこは明らかに現実の世界ではなかった。
懸念していたアニバーサリーの要素はアンコールでの二部構成の形で完全に世界観が分けられていた。こんな世界想像できる訳がない。
これが「次の一手」だ、と思った。
選択肢で言えば、ハワイでやったものを再度構成し直して今年は15周年の年だからという理由で思い出を振り返るようなものでツアーの形をとっても別に責めるひとは誰も居ないだろうと思う。15周年なのは間違いじゃない。ハワイのコンサートに行けなかった人の方が総数的には多いのだから。でも、きっとその選択肢は松本潤を始めとしたメンバーの中に浮かびもしなかったと思う。きっとね。憶測です。15周年だ!めでたい!祭り!という意識よりもここから16年目が始まるんだという認識の強さをアルバムのコンセプトや各インタビューで感じていたから、だからこそこのツアーの示す方向はとても重要なんだと思った。ここからどう展開するか。ちょっと大袈裟に言うと、ここでこのタイミングで何を出してくるかによって嵐というグループが今後どうなるか?というところ。
だから新しい局面やステージを展開する気満々のアルバム、構成、セトリ、演出がわたしはとても嬉しかった。わたしの中の嵐というグループはいつまで経っても「国民的グループ」という冠よりも、「攻めのグループ」という冠の方がしっくりくる。嵐は爪を隠しながら、でも確実にその爪は常に万全な状態に研ぎ澄ましているグループだと思う。そんなグループだから好きで好きで仕方なくて、そしてついてこれたのだ。嵐にはどんな形であれ、どんな状況であれ、やはり攻めの姿勢を保っていてほしい。そうするためなら少し歩みを遅くしたって、なんならもう一回来た道を戻ってもいいと勝手に思っている。それは後退ではなくて助走であって、後ろに引っ張って手を離すと勢いよく走る車のおもちゃみたいにそれもぜんぶエネルギーに出来る、してきたグループだと思うからだ。だから、正の感情も負も感情もぜんぶ大きな塊にしてエネルギー源として爆発させたみたいな嵐のコンサートはわたしはすごく好き。


と、まあこんなあたりまでのろのろ書いてたらDVDが出てしまったので次はがっつりネタバレの記事を上げるつもりです。